「めんどくさい」にニーズが潜む
昔から失敗は成功の基とか言いますが、大阪弁の「めんどくさい」には「ニーズ」が潜んでいると思います。
つまり、「めんどくさい事」というのは
①自分がすべき事だけど、せずに済ませたい事、もしくは
②もっと楽な方法でできる事にしたい。もしくは
③誰か自分とは別の人にしてほしい事ということです。
まず⓵の場合です。せずに済ますことは一番簡単ですが、その結果を受け止める覚悟が要ります。究極ですが、「生きるのがめんどくさい」とすると、解決策は死ぬこととなりますね。自死とか自殺ということになりますが、「そこまでは思っていない…。」「覚悟出来ない」という方が大半でしょう。生きる事の何がめんどくさいのか、したくないのか突き止めて、その事の解決策を考えるべきでしょうね。
②の「もっと楽な方法にしたい」というのは実は大変な気づきです。発明の母、動機と言ってもよいでしょう。世の中の偉大な発明はそこからきていると思います。松下幸之助は「洗濯機と炊飯器で世の女性を解放した。」と語ったと記憶していますが、不便なものを便利にしたいというのは当然の欲求ですし、発明のきっかけと言えることです。そこでも「何が不便なのか、楽でないか」を深く突き詰める事が大切です。
③の「別の人に頼る」という事も、大切な考え方です。自分の嫌なこと、したくないことを別の人に頼るというのは、分業の始まりです。全て自分だけでできるのはスーパーマンを求めるようなものでしょう。
つまり、私たちの介護の仕事はまさにこの「人に頼る」という事を推し進めていくことに他なりません。「自己努力、自己研鑽」を否定しているのではなく、「他人に頼るべきことを正しく見極めてゆくこと」が大切だという事です。
人は一人では生きてゆけませんから。
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