「得手不得手 得意苦手」
人は誰でも得手不得手というものがあります。「不得手かな」という事に遭遇した時、いつも思い出すことがあります。
警察官だった父親の影響もあってか、小学校の頃から柔道を習っていたのですが、そこでの受け身の話です。前方回転受け身というのを必ず練習します。コケる練習、負ける練習ですね。私は右利きですので右手側から前方に回転するのはすぐできたのですが、左手側から回転するのがぎこちなくて、上手く出来なかったんです。
得手不得手で言うと左から受け身を取るのが不得手という事になります。その時はまだ幼かったので頭も柔軟ですから「よし、左から回る練習を重点的にしてやろう。」と思ったわけです。数週間そればっかりしていると、自分でも左回転の方が得意になる程になりました。
学んだのは、ちょっとやって「苦手だ」とあきらめるのではなく、ちょっとむつかしい課題ほど意識し練習する事で克服できるという事です。これは他の事にも通じる人生訓となっています。ただ、全てにわたってそれが出来るというわけではありません。課題の頻度や重要度によって変わってきます。
仕事では、介護職も実は苦手の範囲だったのです。もちろん社会福祉には興味はあったのですが、初めはあくまでも理論、学問としての興味で具体的な実践は「理屈のわからんやつは苦手」と決め込んでました。変わったのは子供が出来て世話せざるを得なくなってからです。小さい子供に頭ごなしに理屈は通らないからです。頭ごなしに理屈が通らない人との関わり方を子供から学びました。
会社では障害福祉と高齢者福祉の融合を進めています。仕事に就くときに介護保険か障害福祉かで選択してきており、得手・不得手意識があるのは仕方がないとは思いますが、何とか苦手意識を克服する事を願っています。そのことが会社の命運を決めるとまで思っています。
同じ事は文化や芸術、歌や音楽に関しても共通します。私はギターは多少弾けるのですが、ピアノは無理だと決めつけていました。何とか苦手を克服するために、ピアノを習っています。少しづつですが弾けるようになりました。いつか披露しますのでご期待ください。
西邑みちお
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