『無駄の効用』
科学や技術の進歩は、介護の世界でもよく言われます。IT機器の活用等はよく分かりますし、確かに無駄な手間を省くことで顧客にとって必要なサービスを的確に提供できるようになることは必要なことだと思います。
しかし、効率化を急ぐ余りサービスとサービスの合間の会話や気持ちのやり取りを端折り、介護者と利用者との関係性を育むことを蔑ろ(ないがしろ)にすることは避けたいものです。
私たちがサービスを提供しようとしている方、すでに供し続けている方々は、ある意味社会の合理化や効率化からは取り残されている方が多いように思われます。そして、ご本人やご家族はたとえ社会的には非合理と言われ、思われようと今あるこの命の営みを全うされようとしている方々です。脳死といわれている方や、ALSなどの難病で長年喀痰吸引(かくたんきゅういん)等の介護を受け続けている方などに私たちは日々接しています。そこでは合理的な関係がすべてではありません。
人と人とのつながりで、リラックスすること、癒されることは大切なことのように思います。そして、音楽や絵画などで癒されることを、人によればそれはただの「娯楽だ」と忌み嫌う人もいます。かつての大阪府知事は古典文化等無駄な娯楽に公費を使うべきではないと切り捨てようとしました。自分は癒されることがないという価値観を、多くの人が癒されていること、幸せを享受している人にも押し付けていいものでしょうか。
最近、無駄話、世間話が苦手な人が増えているように思います。目的と結論がはっきりしていることは良いが、そうでない話は意味がなく苦手という人です。しかし、無駄話の中にある情報は決して無駄ではないのです。
「小さい子供がなぜ肩がこらないか?」というと、「無駄な動きをたくさんしているからだ」と言います。話のネタが少ない人、無駄話をできない人は是非「無駄な情報こそ大事」と思い直してみませんか。
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